私と彼女

昔から、比較的色々なことを考える子供だった。どうして人は生まれてくるのだろうとか、死んだらどうなるのだろうとか、本当に生まれ変わりってあるのだろうかとか、赤ちゃんが発する最初の言葉は何故ママやパパ、と言った言葉なんだろうとか。

そんなことを成人した今でも考える。こんな話をして真剣に聞いてくれる人はいるのかと聞かれれば、実はそれなりにいる。家族や、あまり親しくないバイトの人、親しいバイトの人、学校の親しい知人。日常的に考えているかと聞かれたらそれは別だが、問いかければ殆どの人は真摯に聞いてくれるし、真面目に自分の考えを話してくれる。世の中は、自分が思っているよりもずっと誠実な人が多いと思った瞬間である。

けれど、そんな話を突然して、「こういうの考えるのが好きなんだよね」と言えるわけもないので、大抵「何となく聞いただけなんだけどね」とはぐらかすことが多い。

しかし、それでも私が素直に「こういう話が好きだから聞いたんだよ!」と言える相手がいる。その子とは、もうすぐ10年近い付き合いになる。恐らく今後話していく上で年齢などはすぐに分かると思うし隠すものでもないので言うと、私と彼女は、21歳の大学4年生だ。絶賛就活中である。明日も面接があるが、何でこんなブログを書いているんだろうと自分でも思う。本当に何でだろう。

でも、どうしても今誰かに、少しでも多くの人に私と彼女の話を聞いてほしい。無性に聞いてほしすぎて、どうしたらいいのか分からないのだ。始めは知恵袋に書こうとしたが、要点をまとめると6000字を超えて笑ってしまった。昔から作文や感想を書くことが好きだったので、ついつい長くなってしまうことをこういう時に実感する。

もしも私のこの記事が誰かに見てもらえるのならば、それがただの暇つぶしであることを願うが、彼女に見られないことは、その1000倍願う。今からする話は、それくらい誰かにとっては他愛もない、どうしようもない話だと、自分では思っている。

 

前置きが長くなるのは悪い癖なのだけれど、これだけは最初に言っておきたい。

私も彼女もレズではないということだ。決して、断じてない。男が大好きだ。それだけを踏まえて、電車で眠れない時などに読んでほしいと思う。

 

私と彼女は、大の親友である。仲良くなったのは中学2年生の頃であったが、小学校も一応同じである。同じクラスだったこともあると記憶している。彼女は、とてもとても勉強ができる子だった。英語のテストで40点を取って大喜びをする私の横で、82点を取って世界の終わりのような顔をする子だった。

しかし彼女は自分と同じ勉強ができる子とは親しくはなかった。いや、親しくはあったが、一緒にご飯を食べたり、休日に遊んだりはしていなかった。そういう対象となるのは、私のような平均以下の馬鹿や、私より多少は数学ができるが英語が全くできない笑い声のでかい奴から、0点ばかり取るのび太みたいな奴もいた。

彼女とこの頃の話を最近したとき、こんなことを言われた。「私って、頭のいい人と仲良くしたことないんだよね。自分でも不思議なんだけど。何でだろう?合わないのかな」と。

それに対して私はうまい解答は出来なかったが、その後彼女の学力の一致と価値観の一致は全く別のものなのだろうという言葉に酷く納得した。そうだ。多分、頭のいい人同士が必ずしも仲良くなれるわけでもないし、馬鹿同士が必ず分かり合えるわけでもない。本当に、その通りだと思った。

中学3年の頃、受験シーズンに突入した。今までくだらない話ばかりが飛び交っていた廊下が、一気に張り詰めたようになって嫌な気持ちになったことを覚えている。目標の高校に行くために、皆勉強に励んでいた。中には定時制に行くから関係ないと遊びまくっている奴もいたが。(勿論先ほど話したのび太はここに入る)

しかし模試の結果や、あまりの勉強時間のストレスで、大多数の子は志望校を下げた。あれほど行きたいと言っていた場所をあっさり変更してしまえるのか!と思う程、受験は怖いものだと思い知らされた。学年主任ですら、それを推奨するほどだった。

私は特に行きたい場所などなかった為、模試で安全圏に入る高校を受けようと最初は思っていた。けれど、彼女は違った。

近辺で一番偏差値の高い高校を受ける気だった彼女は模試の結果に酷く落ち込んでいた。偏差値70以上あるA高校に受かりたい。でも10以上足りない。死ぬほど努力しても受かるか分からないと。私には別の国の言葉かな?と思うくらい贅沢な話だと、正直思った。そんなに選択肢があるのに、何故A高校に拘るのかも、分からなかった。けれど彼女の話を聞いて、なるほどとも思った。

A高校は、何でも彼女のお兄さんが通う高校で、文化祭や体育祭、色々なことが盛り上がるんだとか。毎日通うお兄さんが楽しくて仕方ないというようで、それを見て自分も行きたいと思ったことを話してくれた。私の姉から聞いた話だが、A高校は部活加入率100%なんだとか。部活の加入率が高いということは、放課後も校舎に残りたいと思う学生が多いということで、つまり全員が全員スクールライフを満喫しているらしい。また、偏差値が高いにも関わらず勉強勉強!というわけではなくメリハリがしっかりしていて遊ぶときはきちんと遊ぶ人が多いのも、彼女にとって大変魅力的だったらしい。

確かに死ぬほど努力して手が届くのならば、そこに通いたいという気持ちも分かる。すごく分かる。そして彼女はこんなことも言った。

「周りが努力していない人ばかりで辛い。何故志望校を下げるのか。プライドはないのか」そして、こうも続けた。「少しでも目指す場所を上にすれば、その分努力だって人一倍するのだから、必ず自分の為にもなる。周りの学力が圧倒的に下な場所に行って見下して生きるよりも、常に向上心を持っていた方がいい」と。

私はその話を聞いて、感銘を受けたのと同時に、怖くもなった。普段くだらない話ばかりしている彼女はこんな立派なことを考えていたのか!ということと、自分のことを言われているのではないか?という不安だった。彼女が大切な友人だからなのか、信頼している人物だからなのかは分からないけれど、その言葉が当時14歳の私の思考を一気に変えてしまったのだと思う。私は両親も、担任も、全員の反対を押し切って家から一番近い高校に受験を決めた。そこに行きたいという理由はただそれだけだ。あとは制服が可愛かったとか、その程度の理由だった。自分の学力からは、多分10以上上の高校だったと思う。

それからは、今までの自分では考えられないほど勉強をした。テストで見たこともない点数を初めて取った。夏休みも放課後も、塾と家にしか行かなかった。家にいても、好きなテレビも漫画もやめた。それを見て受かる自分が想像できなかったから。

彼女はとても喜んでくれた。「一緒に頑張ってくれる人がいて嬉しい。他の誰も貴方のような人はいない」と。確かにそうだった。時期が過ぎれば過ぎるほど、志望校を下げる人ばかりの中で、私と彼女と、あとはほんの少しの変わり者だけが志望校を下げなかった。

そして、私は受験に失敗した。点数は普通に悪かった。奇跡でも起きないと受からないような点数だった。親は大丈夫だと言ってくれたし、学校の先生も誰も責めなかった。お世話になった塾の先生も、私が頑張ったことを褒めてくれた。

彼女は見事A高校に合格した。私が落ちたことに凹んではいたけれど、「それでも志望校を下げて受験期を遊んですごした子より、貴方は価値のある時間を過ごしたんだよ。意味のないことではなかったよ」と励ましてくれた。

一人のときに、その言葉を思い出して泣いた。期待に応えられなかったこと、それでも優しくしてくれたこと、我儘を言ったのに責めなかった大人たちを想うと、自分が情けなくなることばかりだった。

 

私は電車で1時間程度の私立高校に入学することが決まった。

 

入学してからは、地獄みたいな日々が続いた。私の通うB高校はそれはそれは厳しかった。昭和の高校か?とツッコミをしたくなるくらい、本当に笑えるくらい厳しかった。登校中の道のりには見張りのように教員が立っていた。服装の乱れを駅からチェックするためだ。道が狭い場所でも、スカートの短い女の子は大きな声で道中で怒鳴られていた。散歩中のおじいさんは何事だともいいたげな怪訝な顔つきをしていた。

第一ボタンがあいていただけで、「こんな学校やめたらどうなの?」と女性教師に言われたことがある。思わず、好きでこんな場所来たわけじゃない!と叫びたくなった。

いじめられていたわけではないのだが、授業中に少し変わったことを聞いてしまったことがきっかけで、男の子にからかわれたことが一度あった。遠くからふざけた声で〇〇さん~!と私に手を振るのだ。中学時代こんな男の子はいなかった為、驚いたし、少し恥ずかしかった。

 

私は家に帰ると今までにないストレスを感じた。

誰にも優しくできなくて、この世の全員いなくなればいいとヒステリックに泣いた日すらある。親に毎日のように愚痴を言っていれば、「あんたが志望校下げればよかったんでしょ!」と一度だけ怒鳴られたことがあった。

そう言われたことよりも、ずっと言うまいとしていたことを口にさせてしまったことが、あまりにも申し訳なくて、悲しくて、悲しくて、その日は涙が枯れるほど泣いた。

しかし高校ではそれなりに友人は出来た。私と同じように学校が嫌いだと言う子たちばかりだったが、理不尽な教師に対して怒りを感じている子は少なくなかったから、仕方がないとも思う。大抵会話は学校の愚痴だったが、趣味の話もしたし、楽しい話も沢山した。

 

そんな状況の中、彼女は高校生活をとても楽しんでいるようだった。始めの数週間は友人が出来ずに私に少しだけ愚痴をこぼしてはいたものの、「やめたい」と連呼する私ほどではなかったし、すぐに親しく出来る子ができて文化祭にも招待された。校内で忙しそうにする彼女の毎日は、とても充実しているように見えた。

彼女と私は、殆ど同じタイミングでアルバイトを始めた。私はファストフードで、彼女はドラッグストアだったけれど、始めたタイミングが同じだった為、愚痴や悩みが似通ることが多くて、会っては二人でよく慰め合っていた。

因みに彼女はA高校に入学したのに、部活に入らなかった。お金が欲しいから、部活よりバイトがしたいらしかった。私は中学3年間運動部に所属したが、そうえば当時彼女は文化部にすら所属していなかった。勉強は出来たがスポーツはからっきしだったことを思い出し、多分興味のある部活がなかったのだろうなと思った。

高校1年の冬頃。彼女はアルバイトをやめたいと相談をしてきた。私が少しだけ学校に馴染んできて、怖い教師からの逃げ方も熟知してきた頃だった。

彼女は、入学してから成績があまり良くはなかった。学年でも下から数えた方が早いくらいだった。楽をして入学をしたわけではないのだから、当たり前だと思う。けれど、アルバイトをしていれば、学校が終わっても勉強をする暇がなくて、ちっとも時間がないと。テスト前に休みを取るだけでなく、日常的に勉強しなくては、置いて行かれてしまうと。

そして彼女は2年になる前に、アルバイトをやめた。私はまだ好きになれない高校も、慣れないバイトを続けていたけれど。

そして高校2年の夏。彼女は今度、「A高校をやめたい」と言い出した。私が1年生の春に本気で考えていた悩みを、彼女は2年生の夏に切り出した。確かに、小さな愚痴を零すこともあったし、人間関係で悩むこともあったと思う。けれど、まさかやめたいと思うほどだったとは想像がつかなくて、その理由を聞かずにはいられなかった。

まず、友人関係の話が出てきた。

A高校の子は、夢があり、努力が好きで、勿論学校やイベントごとも大好きだという。というか、そういう人しかいないのだという。そんな子たちを見ると、夢を持つことに意味を感じない自分は、嫌悪感を覚えること。

そしてこんなエピソードも話してくれた。体育祭の応援団は任意参加なのに、自分以外の全員が参加している。お昼休みになると皆お祭りのように教室から出ていくから、一人ぼっちになるということ。

やはり勉強が難しくて付いていくのが困難なこと。

他にも小さな話があったが、大きな理由はその3つだ。私は彼女と親友になってから初めて、彼女に違和感を覚えた。家に帰って姉に彼女の話をした。姉は笑いながら「A高校で馴染めないならどこ行ったって無理でしょ!」と答えた。

私もその通りだと思った。けれど当時彼女の家庭環境が複雑だったことも影響しているのかもしれない、精神的に不安定な相手の言葉を否定するべきではないと思い、私は彼女の意見に同調した。そして彼女は両親を死ぬほど説得をして、高校2年の夏に学校をやめた。

何故か私も反動で学校に行かなくなったが、1日で担任の面談、両親の説教に耐えきれずやめたいと思うことをやめた。アホだと思う。

その年の冬、私は誕生日を迎えた。気づけばバイトではすっかり上の立場になり、高校も残すところ約1年という時期だった。彼女が誕生日プレゼントを回転寿司でくれた。今までの私と彼女が過ごしてきたムービーを1時間程度にまとめたものだった。最後には感動的な歌とメッセージまで入っていた。

私はあまりにも驚いたが、とにかく涙が止まらなかった。彼女が私のことを大好きだということ、たまに全てがどうでもよくなるときがあるが、私のことだけはどうでもいいと思えないこと、これからも一緒にいてほしいということ。

私は言葉にできない喜びを感じた。今まで生きてきた中で一番幸せだった。

彼女のことが大好きだと思った。

3年になると、彼女は高卒認定試験の勉強と、大学入試の勉強をするため、あまり会うことができないと言ってきた。どこの大学に行きたいかという話になった時に、私はもう勉強は散々だと思い、指定校推薦やAO入試で簡単に入学でき、興味の分野が少しでもある大学を幾つかピックアップした。どこに行きたいかというのも、これまたなかったのだ。

すると彼女は「この大学は私の志望校より遠い。貴方がどうしても行きたいのなら話は別だが、どこでもいいのなら遠くなって会えなくなるのは嫌だ。なるべく近くにしてほしい」と言われた。

私は少し困ったが、特にやりたいこともなかったので、彼女の志望校から数駅の大学を受けることにした。

程なくして、私は推薦で大学が決まった。少し専門っぽい大学で、料金は普通の私立大よりも高かった。親は難しそうな顔をしていたし、歴史が短いから、当時の担任にも反対された。けれど直感で、その大学を選んだ。特に深い意味はなかったと今では思う。

大学が決まってから、私にはやりたいことがあった。彼女への誕生日プレゼントだ。彼女の受験が終わるまでにはつくろうと、4ヶ月以上せっせと準備をした。歌を作るために2万近くするソフトを買った。楽譜の勉強もしてみた。ムービーソフトの使い方も勉強した。パソコンは得意だったが、初めてのことは出来ないことばかりだった。けれど彼女のことが大好きだったので頑張って作った。

センター試験終了後、彼女は志望校に合格した。偏差値は60よりも下の大学で、彼女は「だいぶ落ちちゃったよね」と笑っていた。彼女も勉強に疲れたのだろうなと思った。

彼女にプレゼントを渡すと、1年前の私と同じ反応をした。

貴方のことが大好きだ、こんなプレゼントをくれる人はこの世界のどこを探しても貴方しかいない、ありがとう、生まれてきて一番幸せな日だ、と。

本当によかったと思う。

そして私はあの高校を卒業した。嫌なことばかりだったけれど、それなりに楽しいこともあったと思う。かっこいい講師の先生を追いかけまわして困らせたり、文化祭でタピオカを飲みながら友達と歩いたり、修学旅行で時計を作って怖い先生にとても褒められたり、人生何事も経験だと、今では振り返ることができる。

大学に入学してからは自由の身だった。仲良くする子はすぐにできた。お菓子を食べながらホラー映画を空きコマで見たりもした。

彼女は、夜間の大学に通うことになった。昼の部も受けたが落ちてしまい、夜間に通うことになったのだ。けれど夜間だと学費は半額だから、彼女的にはそっちで良かったと言っていた。

彼女は入学してから、それなりに会話をする人はいるようだった。けれど私と会うと、学校の人の愚痴を話す。「自分とは価値観が合わない」「偏差値が低いのに、自分よりもあまりにも出来ない人ばかりで理解に苦しむ」と。

やっぱり私には貴方しかいないな、と言われるのは、これで何度目だろうと思ったし、同じ言葉を返すのも、これで何度目だろうと思った。

実は高校に入学してから、私と彼女は他の誰よりも親しい間柄になった。理由は中学の頃の友人たちと遊ばなくなったからだった。始めの方に話したのび太とも、今では年に1度会う程度の仲になった。

何故そうなったか、と聞かれればうまく答えられる自信がないが、多分私と彼女の性格が合いすぎたからなのだと思う。それくらい波長が合ったし、嫌いなものも好きなものも考え方も似ていた。

そうなれば、彼女は私以外の人間を虫けらのように扱うし、私も彼女以外の人とは上辺だけの付き合いになる。本当に、世界に二人しかいないのだと思うこともあったかもしれない。

そんなある日だ。大学1年生の春休み。一人暮らしの彼女の家に、私は1週間泊まりに行った。2泊3日程度ならこの1年で何度もあったが、1週間ずっといるのは初めてかもしれない、ということに気づいた。

4日目からは泊りでディズニーランドに行く約束をしていた。前日には早く寝ようという話になっていたが、私にはどうしても見たいアニメがあった。なので、電気も消していいし、音も聞こえないくらい小さくていいから頼むから見させてほしいと頼んだ。すると彼女は苦笑いをして。「私も観たいし普通に観ようよ」と言った。

彼女はアニメを見ている最中、私が泣いて感動している横で何度も頭をぐらつかせていた。このシーンが好きだと言えば、から返事が返って来た。

そりゃそうだと、思った。彼女はこのアニメを毎週リアルタイムで観るほど好きではないのだ。録画して、2,3日後暇なときに見る程度の。少なくなくとも、次の日が早いのに、夜更かしをしてまで観るものではなかった。

次の日、ディズニーランドに行くと彼女は何度も何度もあくびをしていた。つまらなそうな表情をすることもあった。私は困ったし、どうしようとも思った。

すると突然彼女がベビーカーをつれて歩く女性二人を見て、こんなことを言った。

「ベビーカーって、どうなんだろうね」

私は言っている意味が分からなくて、何度も意味を聞き返した。彼女は、「だからベビーカーってどうなんだろうねって言ってんの!」と怒ったように言うだけだ。

わたしは言っている意味が分からなかったけれど、とりあえず「そうだね」と返した。

あとで意味を他の人に尋ねれば「ベビーカーを持ってまでディズニーランドに来る意味がわからない。通行の邪魔、子供が泣いたらうるさい、人混みのパレードのような場所にあんなでかいものを持ってくるなんて周囲のことを考えていない」という意味だった。

私は確かにその言葉に納得はしたけれど、理解はあまりできなかった。親に預けられない人もいるし、まだ何も分からない赤ちゃんでもミッキーと写真を撮って残したいと思う親もいるかもしれない。そもそも、ベビーカーをひいて楽しそうに歩く二人を見ただけで、そこまで心の狭いことを、どうして考えられるんだ、と理解できないことだらけだった。私に言葉の意味をきちんと説明してくれなかったところも、嫌だった。

 

そして自宅に帰ってから、色んなことを思った。

 

まず、前日のアニメのこと。私は、そんなに眠いなら寝てほしかった。テレビの明るさが嫌ならそう言ってほしかった。隣に座って眠りながら見るくらいなら、ちゃんと見たいから今は見たくないとまで言ってくれてもよかった。

そして高校をやめたことも思い出した。

彼女は入学してすぐに真っ赤な髪に染めていた。本当にコスプレイヤーみたいに。ピアスもあけていたし、私服高校だからなんちゃって制服を親に買ってもらって短いスカートで毎日学校に行っていた。

志望校にも行けなくて、親にも迷惑をかけて、男の子にからかわれて、教師に怒られて、真っ黒な髪で、お葬式みたいに真っ黒な制服で、膝よりも長いスカートを履いている私が我慢して毎日あの高校に通っているのに、そんなことで貴方はやめたいと思うの?って。

あんなに苦労して、あんなに偉そうなことも言って、死ぬほど努力して、その努力を他人に強要するみたいなことまでしたあなたが、そんなことで?と。

そういう性格の学生が多いことだって、苦労して入学すれば勉強が難しいことだって、全部全部わかりきっていたことだ。体育祭の応援団の話なんか、意味が分からない。参加しろよ、空気読めなさすぎだろ、というか、何で部活しないんだよ。親からお小遣い貰ってるじゃん。私は私立入ったからバイトしてんだよ。なんなんだよって、色んな言葉や感情が駆け巡って、どうしたらいいのか分からなかった。

 

そしてこんなことも思い出した。

小学4年生の頃だ。レクリエーションの係になった私はお昼休みにクラス全員を外に出す必要があった。親交を深める為に外で鬼ごっこをするのだ。先生に頼まれたから、黒板に「外に出てください。遊びます」と書いた。

本を読んで気づかない子には、一人一人声をかけた。休み時間に外に出たがらない子には頼み込んでお願いをした。

彼女も、その中の一人だった。

私は頑なに外に出たがらない彼女にお願いをした。「外に出てくれるだけでいい。本が読みたかったら本を持ってきてくれてもいい。先生に頼まれたからお願い」と。彼女は至極嫌そうな顔をして、5度目くらいの私の「お願い」という言葉にめんどくさそうに頷いた。私は良かった、と安心をして外に出た。

外に出て鬼ごっこをしている中で、気づいた。彼女がいない。さすがに来るだろうと思っていたが、教室の窓から、読書をする彼女が見えた。先生に言えば、「そういう子もいるから」と苦笑いをされた。私は彼女と親しくもなかったし、友人でも何でもなかったから、あまり気に留めなかったが、変わった子だと思った。

きっと彼女は覚えていないと思う。そういうことがあったことは覚えているかもしれないが、私が彼女に頼み込んだことは覚えていない。きっと彼女の中では「情熱的で暑苦しい子」という印象だったのだろう。

中学に入ってからはそういう子には見えなかったので、性格が変わったのだと思っていた。

けれど実際、彼女はあの頃とちっとも変っていないのだと思った。

 

私は、初めて彼女に違和感を覚えたあの日よりも、ずっとずっと、違和感を覚えた。

そしてそれ以上に、嫌悪感を覚えた。彼女のことは大好きだったけれど、会いたくないと思い、約1年連絡を絶った。その1年は、SNSで親しくなった人や、中学の時に親しかったけれど彼女との交友の深さをきっかけに親交をやめた子、上辺だけで付き合うつもりだったバイトの人、色々な人と遊んだり、話をした。

彼女の話をすれば、大抵の人は「それ洗脳じゃん!こわ!」とか、「彼氏かよ!レズなんじゃないの!?」と笑われたりもした。真剣に話を聞いてくれた人は、「やっと私たちのことも見てくれるようになったってことなんだね」と微笑んでくれた。それもそれで、嬉しかったし、自分が少しだけ成長したような気もしていた。

成人式を迎える頃、彼女のことを何となく思い出した。私は久しぶりに彼女から貰った誕生日プレゼントをあけて、ムービーを再生した。

何だか意地を張って怒っている自分が情けなく思えた。

こんなものをくれる相手を、切ってはいけないと、私は彼女に連絡をした。久しぶりに一緒にご飯を食べた。1年も会わなかったのが嘘みたいに、会話が盛り上がった。この1年遊んだ誰よりも、一緒にいるのが圧倒的に楽しかった。

それから暫く経つと、私はまた彼女としか遊ばなくなった。彼女との喧嘩(私が一方的に怒っていただけで彼女自身は原因も何も分かっていないのでそう呼んでいいのか分からないが)をきっかけに、他の人ともそれなりに関係は保ったままだったが、やはり彼女といるのが一番楽しかったので、少しでも面倒な人とは関係を切ることもあった。

彼女は会わなかった空白の1年について、何も問いかけてこなかった。多分、怖いのだと思う。私も口論をしたくなかったから、何も言わなかった。今でも何も言えていない。

それから、色々な場所にでかけた。ライブに行ったり、舞台を見に行った。共通の趣味では大いに盛り上がり、二人で泣きながら朝まで良さを語り合うこともしばしばだった。

そして、就活の時期になった。自分たちの将来の話を当然のようにする。

彼女も私も、やりたいことがないという点が同じだった。正直、勤務地や労働条件が劣悪なものでないのなら、どこでもいい。これが私たちの意見だった。

ひとつだけ違ったのは、彼女がIT企業がいいと言い出したことだ。彼女はSEになりたいそうだ。自分が理系だったこともあり、プログラミングなら比較的得意だからだ。

けれど、他にもっと大きな理由があった。彼女はこう話す。

「その内、殆どの企業は私たちが30,40,50代の内になくなる。全てAIに切り替わる。そういう勉強を大学でしているから分かる。価値のない人間になりたくない。一生自分を自分で養っていくのだから、銀行員や事務職に就くのは間違いだ」と。

そして、こう続ける。

「女はどうせ結婚するから将来のことなんて考えていないのだろうか。もしも自分が就いた職業が10年後なくなって、その時に結婚もできなかったらどうするのだろうか。それともそうならない為に結婚するのだろうか。私は結婚なんてするつもりはないから理解に苦しむ」と。

これは少し関係ない話かもしれないが、彼女は美人ではなかった。多分、一般的には不細工の部類に入るのだと思う。今まで恋人ができたこともない。好きな人すら、できたことがないのだという。そして日常的に化粧もしない。コスプレイヤーみたいに真っ赤な髪色をしていたあの頃でさえ、眉毛を描くことすらなかった。

彼女は身長が低かった。確か145cmくらいだと思う。それが可愛いと思ったことはないらしく、服装や靴もはなから諦めることが多い。本人はそれなりにお洒落をしているのだろう日も、年齢に対し子供っぽいなと思うこともあった。

彼女にも自覚はあるようで、怒ったように「背が低いから仕方ない」と言っていた。

 

話は戻るが、彼女が話した今後の職業の在り方についてだ。私は確かになるほど、とも思ったが、どこか違和感を覚えた。彼女に違和感を覚えたのはこれで3度目だ。

彼女はそんな自分の考えを、珍しく私に「間違っているだろうか?」と不安そうに尋ねてきた。本当に珍しいと思った。彼女はいつも、自分が正しいと思うことが多いから。

周りに、あまりにも同じ考えの人がいない、貴方も知らなかった事実みたいだから、あまり自分のこの考えに自信がもてない。そんなニュアンスを含んでいるようだった。

私はまだうまく答えがまとまっていなかったけれど、なるべく彼女を傷つけないようにこう言った。

「間違ってはいないけれど、皆そこまで考えていないんだと思う」

すると彼女は「あ~」と納得したような顔をして、「やっぱ皆って後先考えないよね!ほんと思いつきで生きすぎ!」と言った。

彼女は、よく、こういうことを言うのだ。「みんな」を馬鹿にする発言。

貴方にとって、「みんな」とは何ですか?世の中の人?同じ世代の人?

私は、自分以外の大多数だ。

しかし彼女にとっての「みんな」は、「私と彼女以外」だった。

彼女はよくこう言った。

「あなたはこうだから良い。皆はこうだから嫌いだ」

「あなたのそういうところが大好きだ。みんなにはそういうところがない」

 

価値観が合う。嫌いなものも、好きなものも似ている。考え方だって、殆ど同じだ。

けれど、私はあなたと似ていないし、あなたと常に同じであるわけでもない。

どうして〇で囲んだ中に自分以外の私を含んで、他を否定するのだろう。どうして貴方と考え方が必ず一緒だと、そう思えるのだろう?

私だって確かに貴方に「あなたはみんなと違う」と言ったことはあるけれど、それは大多数の人と違う、という意味で、家族や、そのほかの大切な人はその中に含んでいない。

貴方の考え方に、一つも納得できなかった。

 

ある日、バイトの男の子に将来の夢を聞いた。彼は教員になりたいと答えた。私は、「もし10年後に教員という職業がなくなったらどうするか?」と尋ねた。彼は「え~それは困りますね。困ります、本当に困ります」と笑いながら頭を掻いた。

でもその後に、こう続けた。「もし本当になくなったら、その時に考えます」と。

私には、その答えがとても愛おしく思えた。彼女はきっと、こんな答えをどれだけ悩んでも導き出すことができないし、導き出すことが出来ても理解することはできない。

私は彼女の考え方が、途端に寂しいものだと感じた。

たとえ10年後なくなる職業でも、夢見ていた職種に10年もつけたのなら万々歳だと思う人もいる。その10年で新しい夢を見ることもできる。もしかしたら運命的な出会いがあって結婚するかもしれない。明日明後日なくなる職業なら諦めるのも分かるけれど、10年20年先の話なら、その時に考えればいいと、私は心底そう思う。

けれど彼女は「結婚しない、職業はなくなる、全てAIになる、SEはあり続けるからそこに就く」と言う。どうして21歳で、そこまで言い切れるのだろう。

 

そして彼女は、私の知人が銀行員に受かった話をすれば、「3,4年後にはなくなるかもしれないけれどね」と皮肉を述べる。

私の母親が休日勤務で弁当や寿司を買ってくる話をすれば、自分の母親はそんなことしたことがないと言われる。

料理ができるようになりたいと言えば、自分の母親は惣菜など他の母親は考えないようなレシピを考える。貴方の夕飯ではカレーやオムライスが出てきたが、母はそんなものを作ったことがない。簡単な料理は嫌いなんだそうだ。と言われた。

高校時代に身に染みて思ったが、頭のいい人は本当に努力をしている。勉強ができる人で努力していない人は本当にいないことを実感した。勉強ができない人は努力をすれば必ずできるようになると言う。

私は本当に、頭のいい人と仲良くしたことがないんだなぁと実感するときがあると言われた。

 

この人は、一体何が言いたいのだろうと、思う。

 

自分の母親の自慢がしたいのか、私の母親を貶したいのか、勉強ができない私を見下したいのか、こんな会話を、日常的にすることがある。

はっきり言えば、死ねと思ったことがある。母親は私が私立高校に通うようになってから休日出勤をして、定時の17時に帰って来る日から、20時過ぎに帰宅することも増えた。

そもそもこんな年齢なのだから、いくら実家暮らしとはいえ夕飯くらい自分で支度できるだろうと親が考えるのだって当たり前だ。そんな中私の方が帰宅が遅い時は何かを買ってきてくれるのだから、とても優しい母親だ。人当たりもいいし、歳のわりに綺麗だし、就活中で不安ばかりの私に「優しい子に育ってくれたから、とりあえず今はもう悩みはない」と言ってくれるような人だ。

何でそれを、何にも知らない貴方に否定されなければいけないのか。友人も私以外にいなくて、私と会わない1年間ゲームばかりしていた貴方に、そんなことを言われなくてはいけないのか。

そもそも誰のせいで、高校受験が失敗したと思っているんだ。あぁ、それは私のせいか。と、こんなことばかり考える。

 

私は、彼女のことが大好きだ。ただ、たまに違和感を覚えることがある。

それは一定の期間を過ぎればどうでもよくなってしまうものなのだけれど、今のような時期は、どうしようもなく腹が立ってしまう。彼女に今は会いたくなくて仕方ない。

彼女から会おうと言われたら、私はどうすればいいだろう。

そして私は、また彼女から貰ったプレゼントを見て、「私は何て小さい人間なんだ!」と反省をして、何事もなかったかのように彼女と接するのだろうか。

もう何も分からない。

何も分からなくて、色々なことを考える。

 

誰かに彼女の話をしたら、それは悪口になるのだろうか。

他の友人に高校受験の話をしたら、「人生めちゃくちゃにされてんじゃん」と怯えられたことがある。そうなのだろうか、そうかもしれない。

現に最近も、私が受けたい企業の将来性を疑問視されて、ITに向いていると言われた。私はさすがにITに興味はなかったので、今のところ受けるつもりはない。

彼女と会わなくなって、半月が過ぎた。最低でも週に1度は会うようにしていたので、これは珍しい方だ。今は忙しいを理由に会わなくて済んでいるが、暇になって、会いたいと思うかどうかが分からない。

けれど、彼女を嫌いになる自分が想像できない。

彼女のように自分に色んなものを与えてくれた人を嫌いになるくらいなら、私は世界の誰とも深く付き合えないと思う。

 

長い文章になってしまったが、簡単に言えば彼女は一体何なんだということだ。

私は、あまり口論をしたくない。本当に、大好きな彼女を傷つけたくない。

どうすればいいのだろう。もう何もわからないから、とりあえず文章にしてみた。

それだけのことだ。。